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大阪地方裁判所 昭和41年(ワ)612号 判決

原告

西野操

(ほか一八名)

右原告ら一九名訴訟代理人

上田稔

被告

藤井寺運送株式会社

右代表取締役

辻西一郎

右訴訟代理人

山上孫次郎

被告

大阪市

右代表者市長

中馬肇

右訴訟代理人

林藤之輔

(ほか一名)

主文

一、被告両名は、各自、次の金員を支払え。

(1)  原告狼谷昭豊に対し、別表(一)請求認容一覧表(19)の第一覧記載の金員およびこれに対し被告藤井寺運送株式会社は昭和四一年二月一四日から、被告大阪市は同月一五日から、それぞれ支払ずみに至るまで年五分の割合による金員。

(2)  原告狼谷昭豊を除くその余の原告らに対し、同表(1)ないし(18)の各第一覧記載の金員および右金員のうち、同第二欄記載の金員に対しては昭和四〇年四月六日から、同第三欄記載の金員に対しては被告藤井寺運送株式会社は昭和四一年一月一二日から、被告大阪市は同月一四日から、それぞれ支払ずみに至るまで年五分の割合による金員。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は被告らの負担とする。

四、この判決の第一項は、原告らにおいて仮りに執行することができる。

五、ただし、被告らにおいて、それぞれ原告らに対し別表(三)記載の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

理由

第一本訴申立

「被告らは、それぞれ、原告らに対し別表(一)請求一覧表(1)ないし(19)の各第一欄記載の金員および右金員のうち同第二、三欄記載の金員に対し各欄記載の日よりそれぞれ支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決ならびに仮執行の宣言。

第二争いのない事実

(一)  本件事故発生

と き 昭和三九年一二月一七日午後六時四〇分ごろ

ところ 大阪市西成区津守町六丁目二一番地先、大阪市営電車阪堺線軌道上(市電南津守―宝橋停留場間)

事故車 (1)営業用大型貨物自動車(タンクローリー車、大一き七一七三号、被告藤井寺運送株式会社(以下、藤井寺運送と略す)所有、以下、タンクローリーという)

(2)路面電車一七二〇号(被告市所有、以下、市電という)

運転者 (1)タンクローリー、被告藤井寺運送従業員訴外佐武功

(2)市電、被告市職員訴外神谷茂

死傷者 市電乗客=原告中田幸治、同狼谷昭豊(以上、負傷)、訴外西野登一、同中田栄子、同田中市三郎、同大木逸平、同石坂三次(以上、死亡)

態 様 前記軌道上を北進中の市電と同軌道上を対向南進してきたタンクローリーとが衝突し、ために右市電乗客らが死傷した。

(二)  タンクローリの運行について(但し、被告藤井寺運送との関係において被告藤井寺運送は、右タンクローリーを所有し、これを従業員たる訴外佐武功に運転せしめ自己のための運行の用に供していた。

本件事故は、訴外佐武および同神谷両名の過失により惹起した。

(三)  市電の運行について(但し、被告市との関係において)

被告市は、路面電車による旅客運送業を営んでおり、右電車の運行に関しては商法上の旅客運送人に該当し、事故当時、市電乗客であつた前記死傷者との間には旅客運送契約が締結されていた。

(四)  身分関係(但し、被告藤井寺運送との関係において)

原告らと前記死傷者らは原告ら主張のとおりの身分関係を有する。

第三争点

―原告らの主張―

一責任原因について

本件事故は、左のとおり、タンクローリー運転手訴外佐武および市電運転手訴外神谷両名の過失に基き発生したものであるから、被告藤井寺運送は自賠法三条又は民法七一五条により、被告市は商法五九〇条又は民法七一五条により、それぞれ原告らに生じた損害を賠償すべき義務がある。

(一)  (省略)

(二)  訴外神谷ないし被告市側の過失(省略)

二損害の発生について

原告らが、被告両名に対し賠償を求める損害額は別表(一)請求一覧表記載のとおりであるが(損害の明細内訳は別表(二)記載のとおり)、これに関する特記事項は次のとおりである。なお、遅延損害金の発生時期は、原告狼谷以外の原告らは、別表(一)請求一覧表の第二欄の当初請求部分につき本件訴状送達の日の翌日(被告両名につき、昭和四〇年四月六日から)、同表第三欄の拡張請求部分につき同原告らの昭和四〇年一二月二三日付請求の趣旨訂正申立書送達の日の翌日(被告藤井寺につき、昭和四一年一月一二日、被告市につき、昭和四一年一月一四日)から起算し、原告狼谷は同原告の訴状送達の日の翌日(被告藤井寺につき、昭和四一年二月一四日、被告市につき昭和四一年二月一五日)から起算する。

―原告西野関係(原告大植を含む以下同じ)―

(1)  訴外西野登一の死亡とその家族関係

訴外西野登一は、本件市電の乗客であつたが、本件事故により蒙つた傷害が原因となり、昭和三九年一二月一八日死亡した。登一の家族関係は次のとおりである。

(2)  亡登一の得べかりし利益の喪失とその相続

(イ) 一ケ年平均の得べかりし利益

登一は、ダイケンサツシ株式会社に勤務していたが、昭和三九年一月以降同年一二月一七日までの間に得た総収入は金七三七、七三四円であつた。しかして、同人の稼働日数は一ケ月平均二五日であつたから、これにより、同人の一ケ年平均の総収入を算出すると七五六、九〇〇〇円となる。そして、同人の必要生活費は右総収入の四分の一を超えることはなかつたから、右一ケ年総収入の四分の三が、同人の一ケ年平均の得べかりし利益である。

(ロ) 就労可能年数

登一は、死亡当時満五二才であつたが、その余命の範囲内で少くとも今後一〇年間は就労し得た。

(ハ) 得べかりし利益の現価

登一の右一〇年間に得べかりし利益の現価をホフマン式算定法により算出すると三、七五三、四二一円(756,900円×3/4×10×0.67=3,753,421円)となる。同人は本件事故によりこれを喪失し、同額の損害を蒙つた。

(ニ) 保険金の充当

自賠法による保険金、一、〇〇〇、〇〇〇円を受領し、これを右損害に充当した。

(3)  亡登一の慰謝料

極めて安全性の高い交通機関と信じて市電に乗車していたところ、不慮の事故にあい、生命を奪われるに至つたことによる精神的損害ははかり知れないが、これを金銭に換算すれば五〇〇、〇〇〇円を下らない。

(4)  原告弥恵子らの承継

原告弥恵子らは、登一と前記(1)の身分関係があるので、同人の前記(2)(3)の権利を、その法定相続分に応じ、原告弥恵子は三分の一、その余の者は各一五分の二宛それぞれ取得した。

(5)  原告弥恵子らの固有の慰謝料

原告弥恵子らは、夫として父として一家の大黒柱であつた登一を一朝にして失つた。子たる原告らのうち、原告公美、同益美以外の者はいずれもいまだ就学中であり、今後は右両名が実質的に登一にかわつて一家の面倒をみる必要に迫られ、ことに、原告公美は縁談が整つていたにもかかわらず本件事故により破約になる非運にさえ見舞われており、また、原告弥恵子は今後寡婦として暮らさなければならぬ身となつた。右のとおり右原告らが本件事故により蒙つた精神的損害ははかり知れないものであり、これに対する慰謝料は各五〇〇、〇〇〇円を下らない。

(6)  葬祭関係費

原告弥恵子は、登一の葬祭関係費(遺体運送料、火葬料、花代、粗供養(ハンカチ)、その他雑費)として合計一四九、七五五円を支出した。

(7)  弁護士費用

事故後、被告両名に対し右損害の賠償を求めたところ、被告藤井寺運送は自賠法による保険金を含め一家族に対し、一、二〇〇、〇〇〇円以上は支払えないとしてこれに応ぜず、一方、被告市に至つては同被告には全く責任はない旨主張してとりあわない。右の次第で、被告らに対しては訴により右損害の賠償を求めるほかなかつたが、法律について全くの素人である原告らとしては、自から訴訟を行うことは不可能であり、正当な権利を主張するためには、専門家たる弁護士に依頼しなければ到底完全な実効を納め得ないことは明らかであつた。そこで、原告代理人に本件訴訟を委任し、同代理人に対し着手金および報酬として請求額の一割五分(着手金として七分、成功報酬として八分)を支払う旨約定した。これにより、右原告らが支払うべき弁護士費用は別表(二)明細表(1)記載のとおりである。

―原告中田関係―

(1)  訴外中田栄子の死亡および原告幸治の負傷とその家族関係

訴外中田栄子は、本件市電の乗客であつたが、本件事故により蒙つた傷害が原因となり、昭和三九年一二月一八日死亡した。原告幸治は母である栄子と共に市電に乗車していたが、本件事故により頭部打撲、左肩骨折により入院治療二ケ月を要する重傷を負つた。栄子の家族関係は次のとおりである。

(2)  亡栄子の得べかりし利益の喪失とその相続

(イ) 一ケ年平均の得べかりし利益

栄子は、一家の主婦として家事労働に従事していたものであるが、その死亡による労働力の喪失に対しては、当然、その逸失利益の填補が考慮さるべきである。しかして、右逸失利益については、全国女子労働者の平均賃金により、これを算定するに、右平均賃金は一ケ月一四、六三七円であるから(昭和三九年度労働大臣官房労働統計調査部調査)、これに一二を乗じたものが一年間の逸失利益の総額となるが、その四分の一は同人生活費に充られるものとすると、残り四分の三が同人の一ケ年平均の得べかりし利益となる。

(ロ) 就労可能年数

栄子は、死亡当時満二五才であつたが、その余命の範囲内で少くとも今後三五年間は就労し得た。

(ハ) 得べかりし利益の現価

栄子の右三五年間に得べかりし利益の現価をホフマン式算定法により算出すると一、三五一、七三九円(14,637円×12×3/4×0.3636=1,351,739円)となる。同人は本件事故によりこれを喪失し、同額の損害を蒙つた。

(ニ) 保険金の充当

自賠法による保険金一、〇〇〇、〇〇〇円を受領し、これを右損害に充当した。

(3)  亡栄子の慰謝料

愛児原告幸治と共に市電に乗車中、本件事故により致命傷を負い、重傷を負つた原告幸治のことを心配しながら死亡した栄子の精神的損害は多大であり、これに対する慰謝料は八〇〇、〇〇〇円が相当である。

(4)  原告俊治、同幸治の承継

原告俊治、同幸治は、栄子と前記(1)の身分関係があるので、同人の前記(2)(3)の権利を、その法定相続分に応じ、原告俊治は三分の一、原告幸治は三分の二をそれぞれ承継取得した。

(5)  原告俊治らの固有の慰謝料

(イ) 原告俊治

原告俊治は、一瞬にして最愛の妻を失いかつその子原告幸治も重傷を負つて病床に伏す有様となつたため、甚しい精神的打撃をうけ、そのシヨツクで一〇年ほど前に患つたことのある精神病が再発し、今でも完全になおりきらない状態である。この精神的損害に対し慰謝料として、一、〇〇〇、〇〇〇円を請求する。

(ロ) 原告幸治

原告幸治は、本件事故により、当時まだ三才の幼児にして母親を失い、今後、母なし子としてすごさねばならなくなつた。しかも、父たる原告俊治は精神病が完治しない状態であり、祖父である原告功を頼るほかないが、その祖父も老令であるため、止むを得ず他家に預けられている。のみならず、同人自身前記のとおり入院治療二ケ月の重傷を負い一時は生死の境をさまよつたのであり、また、一応治癒したといわれているものの今後の後遺症については予測できないものがある。これらの事情を総合し、同原告固有の慰謝料として一、五〇〇、〇〇〇円を請求する。

(ハ) 原告功

原告功は、原告俊治の父親であつて亡栄子らと起居をともにしてきたが、一家の唯一の女手であつた栄子を失い、かつ、今後幼い孫である原告幸治の面倒をみなければならない立場におかれているのであり、それは、まさに、本件事故による精神的損害である。そして、その損害額を算定すれば二〇〇、〇〇〇円を下らない。

(6)  葬祭関係費

原告功は、栄子の葬祭関係費(葬儀費、肖像写真、粗供養(葉書一、〇〇〇枚)、その他雑費)として合計六〇、四五〇円を支出した。

(7)  弁護士費用

右費用支出の理由は原告西野関係に同じ。原告俊治らが支払うべき金額は別表(二)明細表(2)記載のとおり。(以下、省略)

第五争点に対する判断

A責任原因について

一、被告藤井寺運送の責任

前出第一の争いない事実によれば、被告藤井寺運送は本件タンクローリーの運行供用者として自賠法三条の規定により原告らに生じた損害を賠償すべき義務を負うといわねばならない。

二、被告市の責任

本件全証拠によるも、市電の運行に関し訴外神谷ないし被告市側において全く注意を怠らなかつたものとは認め難く、被告市は商法五九〇条による損害賠償責任を免れない。

―現場の状況―

(イ) 本件道路は、大阪市西成区東六丁目二一番地先を南北に走る直線・平坦道路であり、その両側は非舗装の歩道となつているが、道路中央部には市電軌道(複線、東側が南行軌道。西側が北行軌道、軌道敷部分の幅員五・七九メートル)が敷設されており、軌道敷東側は幅員四・二八メートルの南行車道、西側は幅員四・二六メートルの北行車道であつて、右車道部分はいずれもコンクリートで舗装されている。

(ロ) 事故当時は、小雨が降つたりやんだりしていたため、路面は濡れていた。

(ハ) 事故発生時はとつぷり暮れており、現場附近は明るくはなかつたが、直線道路であり、道路自体の見透しは良い。

(ニ) 現場附近においては、自動車の軌道敷内通行は許されておらず、制限速度は時速四〇キロメートルと定められている。

―事故発生の状況―

(ホ) 訴外佐武は、南行車道を南津守方面に向けて走行中、前方約一〇メートルの地点に南行車道西端、軌道敷との境界附近を先行する乗用車(ダツトサンブルーバード)を認め、その右側(進行方向に向つて、以下同じ)を追越すため時速約五〇キロメートルに加速して軌道敷内に入り、次第に進路を右(西)に寄せて軌道敷中央部附近(タンクローリーの右側車輪が軌道敷の中心より約一五センチ位北行行軌道寄りになる地点)まで進出した。

(ヘ) 訴外神谷は、北行軌道を南津守停留場(衝突地点の南方約二九〇メートル)から宝橋停留場に向け時速約三〇キロメートルで進行中、前方約八〇メートルの地点に、前記(ホ)の如くタンクローリーが先行車を追越すため軌道敷内に進入しつつあるのを認めたが、タンクローリーにおいて市電に気付き回避するものと考えそのまま時速三〇キロメートルの速度で進行したところ、両車間の距離が約五〇ないし六〇メートル位に接近してもタンクローリーは軌道敷外に去らず、かえつて、進路を北行軌道よりに寄せて進行してくるのを認めて衝突の危険を感じ、咄嗟に、電気・空気両ブレーキをかけて急停車の措置をとつた(註(1))。但し、警笛は吹鳴していない(註(2))。

(ト) 一方、訴外佐武は、タンクローリーの運転手席側のワイパーが故障しフロントガラスには泥水等がはねかかつて見透しの悪い状態になつていたうえ、先行する乗用車を追越すことに気を奪われていたため、市電との距離が約二〇メートルないし二五メートル位に接近してから始めてこれに気付き、急遽ハンドルを左に切つたが、わずかに及ばず、滑走してきた市電の運転席右前部および車体右前側部に自車の車体右側部を激突せしめた。

(チ) なお、訴外佐武は、被告藤井寺運送の従業員ではあるが、訴外丸善石油株式会社の原油の運搬に専従する者であり、その運搬先、配車時間等の運行計画はすべて訴外丸善石油の指示によつて決定されており、被告藤井寺運送においてもこれについて介入する余地はなかつた。また、タンクローリーに設置されたタンクは訴外丸善石油の所有であり、タンクローリーの車体には「丸善石油」と表示されていた。

事故当時、訴外佐武は、アスフアルト原油を高松まで運搬し被告会社に帰社する途中であつたが、事故前日の午後一一時ごろ和歌山県下の丸善石油下津製油所を出発して以来、宇野、高松間のフエリボート上で仮眠した以外は殆んど睡眠をとつておらず、帰宅を急いでいた。

(資料。(省略))

註(1) 原告らは、訴外神谷は急制動の措置をとつておらず、仮りにこれを行つたとしても空気ブレーキは充分な機能を果していなかつたと主張し、市電の従輪にフラツト摩耗を生じていないことをその証左とする。そして従輪にフラツト摩耗の生じていなかつたことは事実であるが(証拠)。そのことが直ちに空気ブレーキがかけられなかつたことないしはその効果がなかつたことを意味するものでないことは(証拠)により明らかであり、原告の右主張は採用し得ない。

また、当時の市電の乗客で急制動によるショツクを記憶する者は見当らないが、右各証拠と検証の結果によれば電気・空気両ブレーキを併用して急停車した場合、必ずしも激しいショツクを伴うものでないことが認められ、かつ、本件の如く急制動の直後(前認定の両車の速度および距離からみて、二ないし四秒後と判断される)に激突しているような場合には、仮りに制動ショツクがあつたとして、それ自体としては特に記憶に留まらないということも十分考えられ、これまた前段認定の妨げとなすに足りない。

註(2) <証拠>中には市電が警笛を吹鳴したかのように窺わせる部分があるが、市電運転手たる訴外神谷が、当裁判所において、警笛を吹鳴すると空気ブレーキの効果を減殺するのでこれを吹鳴しなかつた旨供述していることに照し、採用し得ない。

―注意義務の違反―

以下、右認定の事実にもとづき、本件事故が市電にとつて避け得ないものであつたか否かについて検討する。

(1)  非常制動措置と衝突回避可能性

〈証拠〉によると、本件市電と同型電車の時速三〇キロメートル前後での非常制動距離は、直線平坦軌道・七〇名乗車・晴天の条件下において二四ないし二八メートル位、停車までの所要時間は約三・四秒であるが、本件事故当時は軌道は濡れており、制動距離は更に延びる可能性が大きいと認められるところ、前記市電およびタンクローリーの速度(市電は時速約三〇キロメートル=秒速約八・三メートル、タンクローリーは時速約五〇キロメートル=秒速約一三・三メートル)、両車間の距離(五〇ないし六〇メートル)からみれば、訴外神谷が急制動をかけた時点においては、タンクローリーにおいて避譲ないし急停車しない限り衝突は免れ難い状態であつたと認めるのが相当である。

(2) 警笛を吹鳴しなかつたことの不当性

ところで、証人神谷は制動効果を減じないようにするため、ことさらに警笛を吹鳴しなかつたように供述するが(前出註(2)参照)、警笛を鳴らすことによつて、空気ブレーキにかかる圧力がいくらか減じたとしても、そのことが直ちに電車をより長く滑走せしめることになるかどうかは不明であり(急制動した場合の制動距離ないし滑走距離は、車輪とブレーキシユーの間の摩擦力と車輪とレールの間の摩擦力の相関々係によつて決まるところ、前者の摩擦力が大きすぎるとかえて制動距離ないし滑走距離が長くなることもありうる。〈証拠〉参照)、その点は措くとしても、右(1)に認定した如く、市電が急制動の措置をとつた時点において、すでに、タンクローローに対し避譲することを期待するほかない状態になつていたとすれば、市電が自ら急停車の措置をとるべきことは勿論としても、右のような滑走距離に多少の消長を来すかも知れないということを憂慮するよりは、一刻も早く警笛を吹鳴し相手方に対し避譲を促すのがより妥当な処置であつたというべきであろう。

しかして、〈証拠〉および両車の破損状況<証拠>によれば、衝突寸前に、タンクローリーは、ハンドルを切つて進路を左(東)に変えて避譲しようとしたが、わずかに車体部分をかわしきれなかつたことが窺われ、このような衝突寸前のタンクローリーの位置、態勢および訴外佐武が二〇ないし二五メートルに接近するまで市電に気付かなかつたのは、先行乗用車を追越すのみ注意を奪われていたためであることを考慮すると、もし、訴外神谷において急停車の措置をとつた後遅滞なく警笛を吹鳴し右佐武の注意を喚起しておれば、これにより佐武において一瞬早く市電に気付き、直ちに避譲の措置を講じて衝突を回避し得たかも知れないという可能性が絶体にないとはいえない。そして、証人神谷の供述によれば意識して、警笛吹鳴を差控えたというのであり、前出(1)に示した両車の速度、両車間の距離からみても警笛を吹鳴する時間的余裕は存した筈である。

そうすると、訴外神谷が警笛を吹鳴しなかつたことをもつて適切な措置であつたと云い得ないのはもちろん、むしろ、警笛を吹鳴すべきであつたにも拘らずこれを怠つたというのが相当であり、訴外神谷において事故回避のために万全の措置を尽したとは認め難い。

(3) 予防措置の懈怠

また、右時点において警笛を吹鳴しても事故を回避することが困難であつたとしても、より早期により確実に事故回避の措置を講すべきでなかつたか否かが問われねばならない。

しかるところ、市電の運行に関しては、一般に、前方六〇メートル・側方一メートルの範囲が接触危険範囲とされているというのであるが<証拠>、訴外神谷は、タンクローリーが前方約八〇メートルの地点で軌道敷内に進入しつつあることを認めた際、すでに、それが南行車道西端軌道敷との境界附近を先行する乗用車を追越そうとしているものであることを認識し、また、タンクローリーの速度を五〇ないし六〇キロメートルと判断していた<証拠>のであるから、同人としては、更にタンクローリーが乗用車を追越すために必要な距離、側方間隔およびタンクローリーの車体幅等に思を至すならば、タンクローリーが市電との接触危険範囲内に進入してくる虞れのあることは充分予測し得た筈であり、多数の人命を預る電車運転手としては、このような予測され得る危険に対しては、その発生を未然に防止するため万全の措置を構ずべき義務がある。ことに、事故当時は路面が濡れており急制動しても制動距離は晴天時に比らべてかなり長くなることが予測される状況にあつたのであるから、訴外神谷としては、たとえ、急停車しないまでも、タンクローリーが軌道敷内に進入し追越にかかつたのを認めた時点で、直ちに減速徐行しかつ警笛を吹鳴してタンクローリーに対し注意を喚起しつつ進行すべきであつた。そして、訴外神谷において右の如き措置をとつておれば本件事故を回避し得たであろうことは、前出(1)(2)の判示に照らし容易に推認し得るところであろう。

しかるに、訴外神谷は、右時点においては、何らの措置をとることなく漫然、時速三〇キロメートルの速度で進行し(この速度が、市電の通常営業時における走行速度としては最高速度に近いものであることは〈証拠〉より明らかである)、その結果、前出(1)の如く急停車の措置をとつても自からは事故を回避し得ないような事態にまで立至つたのであるから、この点において同人の過失は免れ難い。

三被告両名の責任

以上の認定によれば、被告両名はいずれも、原告らに対し損害賠償責任を負うというべきであるが、前示二の(イ)ないし(チ)の判示から明らかな如く、タンクローリーの運転手たる訴外佐武には、前方不注視、軌道敷内通行、速度違反等の諸点に重大な過失があり、これが本件事故発生の最大の原因であることは疑いがない。そして、これと、訴外神谷の前記過失の内容、程度を比較検討すれば、訴外佐武の過失の方がはるかに重大であり、この点からすれば、被告両名の間における責任負担の割合は、その十分の八までは被告藤井寺運送において負担すべきものというのが相当であろう。

B損害の発生について

被告らが、各原告に対し支払うべき損害金は別表(一)請求認容一覧表記載のとおりであるが(損害の明細内訳は別表(二)認定欄記載のとおり)、これに関する特記事項は次のとおりである。

―原告西野関係―

(1)  訴外西野登一の死亡とその家族関係

原告弥恵子ら主張のとおりと認められる。

(資料(省略))

(2)  亡登一の得べかりし利益の喪失とその相続

(イ) 一ケ年平均の得べかりし利益

右算出の基礎となる登一の勤務先、収入、稼動日数については右原告ら主張のとおりと認められる。

登一の生活費については、同人の職業、収入および世帯人員数からみて右収入の四分の一を超ることはなかつたと認めるのが相当である。

(資料(省略))

(ロ) 就労可能年数

右原告ら主張のとおりと認められる。

(資料(省略))

(ハ) 得べかりし利益の現価

右(イ)(ロ)の事実により、登一の逸失利益の現価をホフマン式算定法(年五分の中間利息控除)により算出すると四、五一六、三七〇円となる(但し、円未満切捨)。

(ニ) 保険金の充当

右原告ら主張のとおりと認められる。

(資料(省略))

(3)  亡登一の慰謝料

生命侵害に伴う精神的、肉体的苦痛ないし精神的利益の喪失に対しては、被害者自身においても慰謝料請求権を取得すると解するのが相当であり、生命を奪われたということ自体において、すでに、登一に対する慰謝料は五〇〇、〇〇〇円を下らぬものと認むべきである。

(資料(省略))

(4)  原告弥恵子らの承継

右原告ら主張のとおりと認められる。

(資料(省略))

(5)  原告弥恵子らの固有の慰謝料

右原告らが、登一の妻あるいは子として同人の不慮の死によつて甚大な精神的苦痛を蒙つたであろうことは容易に推認されるところ、その身分関係、将来の生活への不安と困難、登一の慰謝料の相続等諸般の事情を考慮すれば、右原告らに対する慰謝料は、それぞれ五〇〇、〇〇〇円が相当である。

(資料(省略))

(6)  葬儀関係費

原告弥恵子は、登一の葬儀関係費として一四四、七五五円を支出した。

(資料(省略))

(7)  弁護士費用

右原告らは、代理人上田稔弁護士との間にその主張の如き報酬契約を締結しているものと認められる。

ところで、一般に、他人によつて権利を侵害された者が、その権利を行使するため訴を提起する必要上弁護士に訴訟を委任することは通例のことであり、現にわが国の如く法により多くの複雑な訴訟手続が定められ訴訟の追行に幾多の専門的知識を要求される訴訟制度の下においては、それは、むしろ、当然のことと認められる。そうだとすると、代理人たる弁護士に支払うべき費用は、特段の事情のない限り、当該権利侵害に伴う通常の損害というべきであるが、報酬契約は当事者間の個別的な信頼感に基くところが少くないから、相手方に賠償を求め得べきその範囲、数額は必ずしも報酬契約そのもののみによることなく当該事件の訴額、事案の内容、性質にかんがみると共にできうる限りこれに一般的妥当性を与えるよう規範的客観的な基準に則つて認定するのを相当と解する。しかして、右原告らの本訴請求額および本件訴訟の審理過程において明らかとなつた事案の内容、性質ならびに当裁判所に顕著な日本弁護士連合会報酬規定(民事)等を参酌するに、被告らに対し損害として請求し得べきものは、報酬契約の範囲内で、原告弥恵子につき一三〇、〇〇〇円、その余の原告についてはそれぞれ七〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

(資料(省略))

―原告中田関係―

(1)  訴外中田栄子の死亡および原告幸治の負傷とその家族関係

栄子の死亡および家族関係については、原告俊治ら主張のとおりであり、原告幸治は本件事故により頭部挫創および脳内出血、左鎖骨骨折、右股関節部開放性挫創、顔面挫創および切創等の傷害を負いこれにつき入院二ケ月の加療を要したことが認められる。

(資料(省略))

(2)  亡栄子の得べかりし利益の喪失とその相続

(3)  一ケ年平均の得べかりし利益

栄子は前記家族の中で主婦として家事労働に従事していた者であり、一般には、かかる主婦の家事労働に対し金銭的対価が支払われていないのが通例である。しかし、それは、主婦の家事労働が、家族共同体の一員としての労働である限り、これに対し一々金銭的対価を支払うことは、その身分関係ないし家族共同体の本質に親しみにくいというにすぎず、主婦の家事労働が、その本質上、財産的に無価値を意味するものではない、このことは、夫婦の身分関係を解消する場合の財産分与に関し、婚姻中に得た財産はたとえそれが夫名義のものであつても、それには、妻の家事労働という協力によつて得られたものないしは妻の提供した家事労働によつて蓄積された部分が含まれていると解され、また、積極的な財産の蓄積をみないまでも既に存する財産の減少ないし新らたな出費を防止することにおいて(例えば、家事労働に従事する者がないとき家政婦を雇えばこれに対し相当額の対価を支払うべきところ、主婦が家事労働に従事することによつてこれを免れしめているということも一例として考え得る)財産の維持に貢献し、その財産につき一種の持分権を有すると理解されていることからも充分首肯しうるところであろう。しかして、妻の家事労働につきかかる評価が許されるとすれば、財産分与の場合に限らず、本件の如き事案にあつても、主婦ないし家族の一員として家事労働に従事していた者は、上記の如き意味において財産的利益を産み出しつつこれを享受していたと解するのが相当である。

ところで、右財産的利益の評価、算定については、当該家事労働従事者が所属する世帯の生活環境すなわち世帯主ないし生計中心者の職業・収入、世帯人員数、家事従事者がその中で占める地位等を考慮し、或は、勤労女子の平均賃金ないし家政婦費(一般に家事従事者は女性である)を参酌する等種々の観点からする評価算定が考えられる。

しかるところ、右原告らは、昭和三九年度の女子平均賃金により一ケ月一四、六三七円として栄子の逸失利益を算定すべきものとしているが、栄子ら前記(1)の家族の生計は主に原告功および原告俊治(いずれも工員)の収入によつてまかなわれていたところ、栄子は右家族の中の唯一の女性として家事一切を引受け、家庭生活を営むうえに極めて重要な働きをしていたことが認められ、これらの事情を考慮すれば、前記利益の算定にあたり、右原告らが主張しているよりも低く評価すべき理由は見出し難い。よつて、以下、栄子は一ケ月一四、六三七円相当の利益を得ていたものとして、逸失利益を算定するが、同女の生活費は、同女の右生活環境に照らし、月額一〇、〇〇〇円を超ることはないと認めるのが相当である。

(資料(省略))

(ロ) 就労可能年数

栄子は、死亡時二五才であり、その余命の範囲内でなお三五年間は主婦として家事労働に従事し得たと解するのが相当である。

(資料(省略))

(ハ) 得べかりし利益の現価

右(イ)(ロ)の事実により、栄子の逸失利益の現価をホフマン式算定法(年五分の中間利息控除)により算出すると一、一〇八、二八六円となる(但し、円未満切捨)。

(14,637−10,000)×12×19.91745110=1,108,286)

(ニ) 保険金の元当

右原告ら主張のとおりと認められる。

(資料(省略))

(3)  亡栄子の慰謝料

幼な子(原告幸治、当時三才)を残して生命を奪われた栄子に対する慰謝料は八〇〇、〇〇〇円を下らぬものと認める。その理由は原告西野関係(3)の説示に同じ。

(資料(省略))

(4)  原告俊治、同幸治の承継

右原告ら主張のとおりと認められる。

(資料(省略))

(5)  原告俊治ら固有の慰謝料

(イ) 原告俊治

原告俊治が、本件事故による妻の死亡および長男幸治の負傷を知つて甚大な精神的苦痛を味わつたであろうことは察するに難くなく、また、その時の精神的打撃が同原告の精神病再発の一因となつているものと推認されるところ、栄子の慰謝料の相続その他諸般の事情を考慮し、同原告に対する慰謝料は一、〇〇〇、〇〇〇円が相当と認める。

(ロ) 原告幸治

右原告が慰謝料算定の事情として指摘する事実は、すべてこれを認めることができ、幼少にして最愛の母を失い自からも重傷を負つた同原告に対する慰謝料は一、五〇〇、〇〇〇円を下ることはない。

(ハ) 原告功

原告功は、栄子と姻族一親等(舅と嫁)の関係にあり、原告幸治の祖父としてこれらの者と起居を共にしていたが、栄子の夫である原告俊治に精神的欠陥があつた関係上、一家の中心となつて生活を営んできたものであり、栄子の葬儀には自ら喪主となり、また、原告俊治の発病後は、原告幸治の養育を引受けざるを得ない立場に置かれている。すなわち、原告功は栄子および原告幸治らと共同生活を営み密接な相互依存関係によつて結ばれていたのであり、栄子の死亡および原告幸治の負傷により甚大な精神的苦痛を蒙つたであろうことは容易に推認し得るところである。そうして、かかる原告功の精神的苦痛は金銭をもつて慰謝されるにあたいするものというべく、同原告もまた被告らに対し慰謝料請求権を有するものと解するのが相当であり、右認定の事実に照らせば、原告功に対する慰謝料は二〇〇、〇〇〇円を下らないものと認められる。

(資料(省略))

(6)  葬儀関係費

原告功は、栄子の葬儀関係費として六〇、三五〇円を支出した。

(資料(省略))

(7)  弁護士費用

右原告ら主張の報酬契約およびその請求金額に照らし、原告俊治につき九〇、〇〇〇円、原告幸治につき一五〇、〇〇〇円、原告功につき二五、〇〇〇円と認める。その理由は原告西野関係(7)の説示に同じ。

(資料(省略)(以下、省略))

第六結論

以上の認定によると、各原告らの本訴請求は、主文掲記の限度における本件事故による損害金および損害発生後であり、本件訴状ないし請求の趣旨訂正申立書の各送達の日の翌日(右各書面が原告ら主張の日時に被告らに送達されたことは本件記録上明らかである)からの遅延損害金についてはこれを認容すべく、その余は棄却すべきである。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。(亀井左取 舟本信光(転任のため署名捺印できない)上野茂)

別 表(一)

請求および請求認容一覧表

請求一覧表(円)

請求認容一覧表(円)

金額

第一欄

(請求金総額)

第二欄

(遅延損害金の発生は昭和40年4月6日より)

第三欄

(遅延損害金の発生は被告藤井寺につき昭和41年1月12日より、被告市につき昭和41年1月14日より)

第一欄

(認定総額)

第二欄

(遅延損害金の発生は昭和40年4月6日より)

第三欄

(遅延損害金の発生は被告藤井寺につき昭和41年1月12日より、被告市につき昭和41年1月14日より)

原告氏名

(1)西野弥恵子

(2)西野公美

(3)西野操

(4)西野幸世

(5)西野元

(6)大植益美

(7)中田俊治

(8)中田幸治

(9)中田功

1,994,228

1,073,789

1,073,789

1,073,789

1,073,789

1,073,789

1,560,912

2,577,826

299,450

1,734,228

933,789

733,789

733,789

733,789

933,789

883,912

1,567,826

260,450

260,000

140,000

340,000

340,000

340,000

140,000

677,000

1,010,000

39,000

1,859,228

1,003,789

1,003,789

1,003,789

1,003,789

1,003,789

1,392,761

2,255,524

285,450

1,729,228

933,789

733,789

733,789

733,789

933,789

802,761

1,405,524

260,450

130,000

70,000

270,000

270,000

270,000

70,000

590,000

850,000

25,000

(以下、省略)

別 表(二)

損 害 明 細 表

(1) 原告西野および同大植関係

氏名

種類

亡登一相続分

固有分

逸失利益

慰謝料

葬祭関係費

慰謝料

弁護士費用

請求

認定

請求

認定

請求

認定

請求

認定

請求

認定

西量弥恵子

917,807

1,172,123

166,666

請求

どおり

149,755

144,775

500,000

請求

どおり

260,000

130,000

公美

367,123

468,849

66,666

500,000

140,000

70,000

367,123

468,849

66,666

500,000

140,000

70,000

幸世

367,123

468,849

66,666

500,000

140,000

70,000

367,123

468,849

66,666

500,000

140,000

70,000

大植 益美

367,123

468,849

66,666

500,000

140,000

70,000

(但し、*欄は請求額の限度で認容)

(2) 原告中田関係

氏名

種類

亡栄子相続分

固有分

逸失利益

慰謝料

葬祭関係費

慰謝料

弁護士費用

請求

認定

請求

認定

請求

認定

請求

認定

請求

認定

中田 俊治

117,246

36,095

266,666

請求

どおり

1,000,000

請求

どおり

177,000

90,000

幸治

234,493

72,191

533,333

1,500,000

310,000

150,000

60,450

請求どおり

200,000

39,000

25,000

(以下、省略)

別表(三)

仮執行免脱担保一覧表

原告氏名

金額

西野弥恵子

1,600,000

西野公美

900,000

西野操

900,000

西野幸世

900,000

西野元

900,000

大植益美

900,000

中田俊治

1,200,000

中田幸治

2,000,000

中田功

250,000

(以下、省略)

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